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<title>南方演劇論</title>
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<description>岡田心平　宮崎演劇を語る

宮崎演劇情報</description>
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<title>高萩宏さんの「僕と演劇と夢の遊眠社」を読んだ</title>
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<description>高萩宏著「僕と演劇と夢の遊眠社」 出版社: 日本経済新聞出版社 (2009/7/...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;高萩宏著「僕と演劇と夢の遊眠社」      &lt;br /&gt;出版社: 日本経済新聞出版社 (2009/7/23) &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;またしても制作系であり、夢の遊眠社である。      &lt;br /&gt;先日読んだ北村明子さんの&lt;a href=&quot;http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/11/post-cf26.html&quot;&gt;「だから演劇は面白い！」&lt;/a&gt;の前日譚のような位置になる。       &lt;br /&gt;遊眠社がアマチュアからプロへと成長して行く過程を制作の立場から描いたものであり、高萩氏が一劇団の制作から、演劇界の制作者へと成長していく過程を描いたドキュメントである。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;北村氏の「芸能界」的話より、劇団が成長していく過程の話の方が、時代が違うとは言え共感できるものがある。      &lt;br /&gt;良い演劇づくりには、「才能・金・場所」が必要だと言うけれど、彼ら遊眠社の場合、一番の大元である「才能」が野田秀樹という圧倒的なものがあって、心配することがなかったというのが、他と異なる点だろう。       &lt;br /&gt;いわば、小劇場出世スゴロクの最初のモデルとなった劇団である。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;遊眠社的な発展の仕方が、小劇場界のすべてではない。      &lt;br /&gt;地方と東京では事情が異なる。       &lt;br /&gt;絶対的な観客数の違い。あるいは観劇体験やそれを支える環境、そして生活。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;しかし、今の日本の演劇の潮流の、&lt;/font&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;一つの源流を、この本から見ることができる。      &lt;br /&gt;宮崎の演劇人にとっても学ぶことは少なくないはずだ。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;br /&gt;  &lt;br /&gt;&lt;iframe style=&quot;width: 120px; height: 240px&quot; marginheight=&quot;0&quot; src=&quot;http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&amp;amp;bc1=000000&amp;amp;IS2=1&amp;amp;bg1=FFFFFF&amp;amp;fc1=000000&amp;amp;lc1=0000FF&amp;amp;t=nanpouengekir-22&amp;amp;o=9&amp;amp;p=8&amp;amp;l=as1&amp;amp;m=amazon&amp;amp;f=ifr&amp;amp;md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&amp;amp;asins=4532167051&quot; frameborder=&quot;0&quot; marginwidth=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</content:encoded>


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<title>劇団どくんご　『ただちに犬』</title>
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<description>劇団どくんご 『ただちに犬 Deluxe』 ２００９年１１月６日 グローバルヴィ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;劇団どくんご 『ただちに犬 Deluxe』 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;２００９年１１月６日 グローバルヴィレッジ綾 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;やや冷え込む外気を感じながら、テントの中で演劇を見る。     &lt;br /&gt;いや、演劇と言うより、「芝居」という言葉がふさわしいか。      &lt;br /&gt;肉体をさらけ出す全力投球。      &lt;br /&gt;汗が飛び、頭から湯気が上がる。      &lt;br /&gt;芝居の原点はこれなんだなあと思わせる。      &lt;br /&gt;綾町のおばちゃんたちが舞台の役者と掛け合ったりしている。      &lt;br /&gt;まさに「芝居」であり、あるいは神楽のようである。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;５人の役者が、犬の死体をめぐって犯人捜しごっこをする・・・。     &lt;br /&gt;と、言ってしまえばそれだけで、それを一つのキーにして演劇遊びが満載なのである。      &lt;br /&gt;対話ではなく、個人芸のオムニバスの感じ。      &lt;br /&gt;それぞれに個性的で、大いに笑わせたり、スリリングだったり。      &lt;br /&gt;中でも、時折旬が傑出している。      &lt;br /&gt;安っぽいな肉襦袢で腹のふくれた体型となっているが、動きのキレやフォルムは追求され尽くしている。グロテスクさと奇妙な可愛らしさ。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;４年ぶりの宮崎公演だが、前回からの間に、拠点を埼玉から鹿児島県出水の山中に移している。     &lt;br /&gt;「生活そのものが演劇」であり、相当な覚悟がないとできない生き方である。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;心なし、前よりも毒気が少なくなったような気がする。     &lt;br /&gt;それは田舎でくらし始めたからなのか。それとも歳を取ったからななのか。      &lt;br /&gt;今、彼らが、鹿児島の山中でどういう生活をしているのかわからない。      &lt;br /&gt;しかし、新たな拠点に腰を据えたからにはこれからも芝居を続けていくのだろう。      &lt;br /&gt;テント劇というと、都会の闇の中から生まれてくるようなものに思えるのだが、さてこれから田舎を拠点として、どういう芝居を作っていくのか。そしてどのように老いていくのか。      &lt;br /&gt;次にまた巡ってくるのが楽しみである。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/11/post-0028.html">
<title>劇場法で宮崎の演劇はどうなるのだろう</title>
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<description>宮崎県立芸術劇場 演劇プログラム・レクチャーシリーズ おしゃべりなディレクター♯...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;宮崎県立芸術劇場 演劇プログラム・レクチャーシリーズ      &lt;br /&gt;おしゃべりなディレクター♯４ 平田オリザ×永山智行 演劇を語りつくす９０分 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;宮崎県立芸術劇場イベントホール １１月４日 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;１２月の青年団の公演のプレ企画として、平田オリザさんと永山ディレクターとの対談が行われた。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;この企画が決まった時は、平田さん自身でさえ、内閣官房参与に就任することなど、思っていなかったことだろう。      &lt;br /&gt;話題は当然、平田イズムがどう現実の政策に反映されようとしているのか、ということになる。       &lt;br /&gt;今までなら、「示唆に富む話」とか、「先見性のある話」で楽しく聞いて終わるところだったのだが、今やこの人の話は現実となろうとしているのだ。       &lt;br /&gt;文化行政のあり方、特に、劇場のあり方をめぐる話は、まさに目の前に課題を突きつけられることになった。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;劇場を規定する法律が現在は無いという。      &lt;br /&gt;そこでまず「劇場法」を定める。       &lt;br /&gt;そこでは、全国の劇場が階層化される。       &lt;br /&gt;・創る劇場       &lt;br /&gt;・観る劇場       &lt;br /&gt;・交流劇場 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;トップレベルになる「創る劇場」は当初、全国で３０～５０カ所、いずれ２００カ所程度に、とイメージしているようだ。      &lt;br /&gt;「観る劇場」というのは、「創る劇場」で創られたものを、鑑賞する場。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;創る劇場となるには、芸術監督、プロデューサー、教育担当プロデューサー、など、創るための専門スタッフが常駐することが求められる。そしてそこで実際に創作する俳優は、かなりの数が東京など外部からの人が入ってくることになるだろう。      &lt;br /&gt;そうなると、地域の人の活躍の場は？ 外部からの人たちをうまく受け入れることができるのか？ &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;現実的に、宮崎で起きそうなことを想像してみる。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;まず、我らが宮崎県立芸術劇場はどの道を選ぶのか。      &lt;br /&gt;創る劇場となるのか。観る劇場となるのか。それとも多目的ホールとなるのか。       &lt;br /&gt;もちろん、最高レベルの物を作り出す、創る劇場となってほしいと願う。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;しかし、県としては予算を増やしはしないだろう。国からの補助が増えるだろうか？ それはわからないが、あまり期待できないのではないか。そうすると、まず最初の段階でつまずいてしまう。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;もし予算が付いたとして、次はどのように使われるのかだ。平田さんの話の中でちょっと気になったのは、彼は演劇の人だから話が演劇中心に進むのだが、実際に劇場を拠点とするのは演劇だけではなく音楽もダンスもある。      &lt;br /&gt;宮崎の場合はすでに音楽が劇場運営の中心に座っている。仮に創る劇場となったとしても、現在のクラシック音楽のアカデミークラスや音楽祭をもって、「創る」と称して、実質的にはあまり変わらない可能性もある。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;それもまたクリアして、演劇も創造しましょうとなったとき、どうするのか。外部から実績のある演出家が芸術監督として乗り込み、東京の役者を中心として芝居づくりをする。確かに刺激は受ける。そして地域の演劇も徐々に盛んになっていくだろう。      &lt;br /&gt;「プロのスポーツクラブだったら、全国レベルのチームを作るのに県民だけにこだわることはないだろう」という理屈は、わからなくもない。       &lt;br /&gt;でも、地域に暮らしていると、それは今ひとつしっくり来ない。       &lt;br /&gt;プロ野球だって、外国人枠がある。高校野球も県外から優秀な選手をかき集める私立校のやり方をあまり良いと思えない。       &lt;br /&gt;どうだろう。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;そして、その結果、地域の演劇人のあり方も変わってくるだろう。      &lt;br /&gt;今まで地域でトップを行っていたと思っていた劇団が立場をなくすこともあるだろう。プロ化して行く人と、アマチュアでよしとする人との間で階層化が進むかもしれない。地域の演劇人はより地域と密着していく方向に活路を求めていくことになるかもしれない。教育や福祉の分野で演劇のスキルを生かし、演劇で食っていける人が増える可能性もある。       &lt;br /&gt;民間人の劇団は、それぞれにたくましく生きる道を模索する必要がある。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;とにかく、地域演劇にとって、これから大きな変革の波が押し寄せてくることは間違いない。      &lt;br /&gt;数歩先を読んで、アクションを起こしていかなければ、宮崎の本当に演劇未開の地になってしまう。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;これから当分、平田オリザと民主党政権の文化政策から、目が離せない。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<item rdf:about="http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/11/post-cf26.html">
<title>北村明子さんの「だから演劇は面白い！」を読んだ</title>
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<description>演劇プロデューサー北村明子さんの「だから演劇は面白い！」を読んだ。 （小学館10...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;演劇プロデューサー北村明子さんの「だから演劇は面白い！」を読んだ。&lt;br&gt;（小学館101新書　2009/10刊） &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;タイトルから想像すると、演劇の面白さを述べているのかなと思うし、プロデューサーの書いた実用書であれば制作の実務的なことが書いてあるのかとも期待したのだが、実際の内容はプロデューサーの心構え的な話で、読み物としては面白く読んだが、制作について具体的に参考になることは多くはなかった。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;どうしても現在の宮崎の演劇を頭に置いて&lt;/font&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;読んでしまうのだが、「東京と地方」「プロとアマチュア」など、同じ演劇というフィールドにいながら、あまりにも取り巻く状況が違い、考え方にも違いが出てくる。&lt;br&gt;「芸能界」という世界だけで生きていこうとすることに何か気持ち悪ささえ覚えてしまう。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;しかし、地域の演劇と言っても、少しでもレベルの高い表現を標榜し、趣味の域を抜けようとするのであれば、マネージメント抜きに考えることはできないだろう。&lt;br&gt;マーケットが小さいことは自ら選んだことだから仕方ない。しかし、もっと入場者を増やす工夫はできるはず。内容的にも、仕掛け的にも。&lt;br&gt;「入場料収入で劇団外への支払いをまかなえるようにする」という基本を、まずできるようになること。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;どうやって客を増やすのか？&lt;br&gt;ＤＭ？　チラシ？　顧客管理？　マスコミ対策？　WEBの活用？ &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;会社では普通にやってることだ。つまり営利を目的にした時にはまず思いつくこと。&lt;br&gt;それを劇団でやれているのかどうか、ということ。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;（う～ん、批評的視点じゃなくて劇団スタッフ的な視点になってしまう）&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;&lt;br&gt;&lt;br&gt;&lt;iframe style=&quot;width: 120px; height: 240px&quot; marginheight=&quot;0&quot; src=&quot;http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=nanpouengekir-22&amp;amp;o=9&amp;amp;p=8&amp;amp;l=as1&amp;amp;asins=4098250500&amp;amp;fc1=000000&amp;amp;IS2=1&amp;amp;lt1=_blank&amp;amp;m=amazon&amp;amp;lc1=0000FF&amp;amp;bc1=000000&amp;amp;bg1=FFFFFF&amp;amp;f=ifr&quot; frameborder=&quot;0&quot; marginwidth=&quot;0&quot; scrolling=&quot;no&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;</content:encoded>


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<item rdf:about="http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/10/post-9fe8.html">
<title>みやざき◎まあるい劇場　「青空」</title>
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<description>劇団こふく劇場プロデュース公演　＃16 みやざき◎まあるい劇場公演『青空』 ２０...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;劇団こふく劇場プロデュース公演　＃16&lt;br&gt;みやざき◎まあるい劇場公演『青空』 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;２００９年１０月２３日　宮崎県立芸術劇場イベントホール &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;　　作・演出／永山智行 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;障碍者が大勢参加する劇団、まあるい劇場の３回目の公演。&lt;br&gt;今回は１回目と同じくこふく劇場プロデュース、永山智行の作演出である。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;障碍者が舞台に立つことは、勇気のいることだろうと思う。&lt;br&gt;ただ街をゆくだけでも、好奇の目で見られたり、迷惑に思われたり、過剰に気の毒がられたり。&lt;br&gt;まあ、こういうふうに考えてしまうことが一種の偏見なのかもしれないし、なにか難しく考えすぎているのかもしれない。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;&lt;/font&gt;&amp;nbsp; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;今回一番感動したのは、実は本編の筋とはやや離れたダンスの部分である。&lt;br&gt;二人のダンサー（あべゆう・大村なつみ）が、横臥した状態から、やがて四つん這いとなり、立ち上がり、声を上げる。生命の進化を表す。&lt;br&gt;この過程を、本編のストーリーの合間に３回分けて演じる。&lt;br&gt;最初は身体を動かす技巧的にはあべゆうが勝っていると感じた。&lt;br&gt;しかし、最後、立ち上がり、声を上げるシーンとなって、大村の絞り出す声に心の底からの声を感じた。&lt;br&gt;大村は障がいを持っている。足も手も曲がっている。発語もままならない。&lt;br&gt;それだけに立ち上がることの必死さ、声を出すことの深さが、真実となるのである。&lt;br&gt;それが表現となり、感動を与える。それが演劇であり、それを見抜いた演出家（永山）の視点の確かさである。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;&lt;/font&gt;&amp;nbsp; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;ストーリーは、ある意味永山の常套的作劇法で、心に何かわだかまりを持った人々が引き寄せられように集まってくる場所での出会う。今回は廃墟となった田舎のプラネタリウムである。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;リアルに考えると、なぜ彼らはここに集まっているのかとか、崩壊して彼らは無事だったのかとか、そんなことも考えないでもないのだが、それよりは一人一人の心に真実があれば、それでいい。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;学生時代に漫才コンビをしていた兄弟。都会に出た兄（濱砂崇浩）は仕事にとりつかれている。弟（和田祥吾）はいつでも帰ってこいと言う。和田のとぼけた感じと生命を思う叫び。&lt;br&gt;鬼束雅人とかみもと千春の別れたカップルのしみじみとした屈折。&lt;br&gt;餅原奈々の傘子が明るさと憂いを見せてよい。よい女優となった。&lt;br&gt;久しぶりの再開を果たす夫婦（山室曹伍・松下みどり）のエピソードに心が温まる。&lt;br&gt;妖精のような３人（森、大浦、笠）が奇妙さ、管理人（平野）の皮肉っぽさ。&lt;br&gt;詩子（吉野）のじっと聞こうとする居住まい。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;&lt;/font&gt;&amp;nbsp; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;障がいの有無はストーリーとも役ともあまり関係ない。&lt;br&gt;それをことさらに特徴とはしないし、しかし個性として表現できればという、スタンスであろう。&lt;br&gt;障碍者劇団の中には障碍を表現の武器とするやり方もあるだろうが、そういうスタンスは取っていない。&lt;br&gt;しかし、ともすると障碍がないもののようになると、ちょっとそれが不自然にも感じてしまう。&lt;/font&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:subject>観劇日記</dc:subject>

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<title>ぐるーぷ連「眠る女」</title>
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<description>ぐるーぷ連 眠る女（ひと） ２００９年１０月１８日 ぐるーぷ連　劇工房 ぐるーぷ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;ぐるーぷ連&lt;br&gt;眠る女（ひと） &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;２００９年１０月１８日&lt;br&gt;ぐるーぷ連　劇工房 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;ぐるーぷ連の演劇を書物にたとえると、哲学書だろうか。&lt;br&gt;小説のように感情に訴える仕掛けはしないし、実用書のような目的を持った説明ではむろんない。&lt;br&gt;哲学書は真理を探究しているのだが、読み手に読み解く能力が求められるし、心の状態で受け止め方が変わってくる。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;中島みゆきの最近の歌、「&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000UVXINK?ie=UTF8&amp;amp;tag=nanpouengekir-22&amp;amp;linkCode=as2&amp;amp;camp=247&amp;amp;creative=1211&amp;amp;creativeASIN=B000UVXINK&quot;&gt;ボディートーク&lt;/a&gt;」の中に、&lt;br&gt;「言葉なんて、迫力がない。言葉はなんて弱いんだろう」&lt;br&gt;という歌詞があるのだが、今日のぐるーぷ連の舞台を見ながら、この歌詞を思い出していた。&lt;br&gt;（中島みゆきは言葉にこだわってきた人だから、反意的に使ったのではあろうけれど。）&lt;br&gt;どうも、今回の連の舞台からは言葉が響いてこないのだ。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;舞台自体はいつもとそう変わるものではないし、こちらもそれを承知で見に行っているのだから、もしかしたら響かないのはこちらの心が受け止める状態にないからかもしれない。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;今回は「人は大きいの？　小さいの？」という問いかけが繰り返される。&lt;br&gt;しかし、そういう設問自体がナンセンスに思える。&lt;br&gt;大きい小さいとという概念は相対的なものである。プランクトンから見ればヒトは大きいだろうし、宇宙から見れば小さいだろう。&lt;br&gt;パンフレットの中で「いる」ではなく「ある」、つまり意志とは関係なく“存在すること”について問いかけたいと書いてあるのだが、大小という比較条件で見てみるという所ですでに意志が働いているのではないか。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;たまたま先日読んだ舞台批評（せりふの時代2009秋号　岩井秀人評）に、ただ40分間人が立っているだけとか、次第に人数が増えていくとか、そういう前衛的な舞台があると言うことを読んだ。（CASTAYA project『Are You Experienced?』) &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;連が「ある」ことを目指すのであれば、一度言葉を捨てたらどうだろうか。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;しかしながら、夏目漱石の「夢十夜」を、前本、児玉の二人で読むところはおもしろかった。物語があるとやはりわかりやすい。&lt;br&gt;また、井上も夢十夜を語り出すのだが、これが前本児玉とは別格にさらにおもしろい。ところが、井上が語るのは冒頭部分だけで、本題は夢の感覚についてであり、やがて話は（おそらく太田省吾の）演劇論に入っていく。演劇はヒトを実像以上に大きく描いているのではないか、という問いかけ。しかし、それまで人間一般の広がりを持っていたのに、急に演劇論になってしまって論点が小さくなってしまう。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;言葉を弄すれば労するほど、結局何が見せたいのかわからなくなってきてしまうのである。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;「１０の８乗目メートルから見ると地球はビー玉ぐらい。１０の９乗メートルではゴマ粒ぐらい。」&lt;br&gt;最後にいつもの通り舞台奥の扉が開いて、夜風が吹き込んでくる。その夜風で今日が闇夜で星が降るようだったことを思い出す。&lt;br&gt;空虚だった言葉が、急に活き活きと感じられるようになる。&lt;br&gt;終演後、外に出て再び夜空を見上げる。&lt;br&gt;天の川が見える。流れ星が流れる・・・。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;夜空を見る心を与えた。それがこの舞台の成果なのかもしれない。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>演劇</dc:subject>
<dc:subject>観劇日記</dc:subject>

<dc:creator>sinpeio</dc:creator>
<dc:date>2009-10-25T16:56:11+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/10/post-d320.html">
<title>大宮崎落語祭　・・・　宮崎市街を落語客が行き交った！</title>
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<description>10月11，12日、宮崎市内で「大宮崎落語祭」が開かれた。 昨年まで東京銀座で開...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;10月11，12日、宮崎市内で「大宮崎落語祭」が開かれた。&lt;br&gt;昨年まで東京銀座で開催された「大銀座落語祭」の地方展開第一弾である。&lt;br&gt;なぜ宮崎が選ばれたのかよくわからないものの、宮崎市民としては大歓迎である。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;しかし、事前の告知はなんとも心もとないもので、ウェブサイトもなんだかわかりにくいもので、これで客が集まるのか心配であった。&lt;br&gt;市街地中心部の4会場で同時開催するという、銀座式を踏襲したおもしろいところではあるが、しかし宮崎でそんなに集客できるのだろうか、と。&lt;br&gt;しかし、それは杞憂であった。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;私は11日14時宮日会館の「正蔵・米團治・花緑の会」に行ったのだが、満席であった。また、他の回、他の会場も売り切れの札が出ていて、かなりの盛況のようである。１つの会が約１時間半で、３回ほど入れ替えるのだが、終演後も居残って次の回を待つ人がいた。そのまま町を歩いて別会場へ回る人たちが少なくないようで、町をパンフレットを持った人が行き交っている。ＭＲＴmiccやアートセンターから宮日会館へと向かう人ともすれ違う。&lt;br&gt;出演の花緑が話の枕の中で「街の人が誰も落語祭をやっているのを知らない」とぼやいていたが、やや噺家の誇張が含まれているとしても、それは間違いではないだろう。確かに一番街には大看板が吊り下げられていたものの、商店街にはあまりポスターを見かけなかった。町外れの劇場でやる音楽祭にはあれだけ町中に旗が立てられるというのに。山形屋の懸垂幕とか、町が落語一色になるような仕掛けが欲しいではないか。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;そうは言っても、とにかく客は集まったのである。&lt;br&gt;来年は別の町へ移るのだろう。次に宮崎に落語祭が来るのは４８年後だろうか。&lt;br&gt;それではあまりにももったいない気がする。町の中のホールをこれだけ一斉に連携させてできるイベントは、落語以外はあまり考えられない。&lt;br&gt;笑いは人や町を元気にすることができる。&lt;br&gt;小朝プロデュースの落語祭は当分ないのかもしれないが、これから宮崎の『街』主導で、落語祭を作っていく番である。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>宮崎</dc:subject>
<dc:subject>観劇日記</dc:subject>

<dc:creator>sinpeio</dc:creator>
<dc:date>2009-10-12T16:57:20+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/09/post-32bb.html">
<title>みやざき演劇祭　「パラサイト・パラダイス」</title>
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<description>みやざき演劇祭　「パラサイト・パラダイス」 9月19日昼 宮崎県立芸術劇場　イベ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;みやざき演劇祭　「パラサイト・パラダイス」&lt;br&gt;9月19日昼&lt;br&gt;宮崎県立芸術劇場　イベントホール &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;作・演出／古城十忍 &lt;/font&gt; &lt;blockquote&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;３ＬＤＫに住む高見家は４人家族。&lt;br&gt;一見どこにでもありそうな普通の一家だが、最近少し様子がおかしい。&lt;br&gt;お父さんはプラモデルにひたすら熱中し、お母さんは出会い系サイトにハマり、&lt;br&gt;娘は年下でフリーターの彼氏を部屋に住まわせ、息子は大学に行かず引きこもる。&lt;br&gt;おまけに健康オタクの隣のおじさんがしょっちゅう入り浸っている。&lt;br&gt;そんなある日、お母さんのお母さんがアキレス腱を切ったことを理由に&lt;br&gt;居候を求めて訪ねてくる。お父さんのお父さんまでもが家を売り払い、&lt;br&gt;同居を宣言する始末。３ＬＤＫに７．５人、果たしてどうなる高見家。&lt;br&gt;持ちこたえられるのか？&lt;br&gt;「孤独」と「依存」をめぐって「現代家族を哲学する」物語。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;（予告サイトより抜粋） &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;小林市出身で東京で活躍する古城十忍の作・演出。&lt;br&gt;戯曲は、古城氏が練り上げたものだから、おもしろくないはずがない。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;2003年初演で、「パラサイト・シングル」という言葉がはやった頃である。&lt;br&gt;しかし、この舞台の本当のテーマは、「パラサイトする家族」というより、「家族らしさ」「○○らしさ」の揺らぎ・または崩壊、そして新たな共生への模索、というべきだろう。&lt;br&gt;「父親らしさ」「母親らしさ」「妻らしさ」「大学生らしさ」・・・。&lt;br&gt;社会のあり方が変わり、個人の価値観が変わる中、家族のあり方も変わっていく。今までの「家族らしさ」が崩れていくのはもはや必然。しかし、では人間は一人で生きていけるのかというと、そうではない。では、どのような共生ができるのか。&lt;br&gt;旧来の家族共生が崩れ、パラサイト（寄生）から、新たな共生を模索する家族の姿へ・・・。&lt;br&gt;一見ありえないようなドタバタな家族だが、実は今まさにこのような模索が日本の隅々で起こっているのであろう。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;劇の中では、父親は旧来の父権的なオヤジらしさを示せそうとする時と、身に合わないのか、示そうとしない時がある。迷い。&lt;br&gt;母親も、家での母・妻の役割を果たしつつも、外では一人の女であろうとする。&lt;br&gt;同居を求めてくるわがままな老人たちも同様である。&lt;br&gt;孤独と死への恐怖。誰と終末を迎えるのか。&lt;br&gt;保守的だと思われた老人たちの方が、孤独に直面してるだけに、新しい共生のあり方をいち早く見いだしたと言える。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;大勢がパラサイトする極限状態。その終末は突然にやってくる。&lt;br&gt;娘の海外転勤、老人たちの自立、そしてひきこもりの息子の独立宣言で、突然に幕を閉じる。&lt;br&gt;あっけない結末に、結局自力では何も解決しなかったという物足りなさが残る。&lt;br&gt;しかし、現実はそんなものかもしれない。&lt;br&gt;７．５人が、突然２人きりになる。&lt;br&gt;家族の役割を演じる裏に若き夢を抑えてきていたはずの夫婦だが、急に何も抑える必要がなくなる。が、もはや自分たちが若くないことを思い知らされるのだろう。そして、孤独さを埋めるべく、二人は結局別れることなく年を重ねていくのだろう。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;よく書けている戯曲なのだが、一方で疑問に感じる部分もある。&lt;br&gt;不思議なのは、経済観念が希薄なことだ。&lt;br&gt;もし、息子の「働く意味がわからない」という問いかけは、「働き甲斐」や「労働の意味」を問いかけているものの、なぜか自分がなぜ食えているのかという疑問がない。答える父親側にも、「貨幣を得るため」「その日の生活をするため」という返事がない。これは不思議である。「誰のおかげでメシを食えていると思ってるんだ！」といおう、お定まりの台詞を吐けるような父親ではないのかもしれないが、しかしそこに触れない方がかえって不自然に感じる。&lt;br&gt;いや、この戯曲が書かれた6年前には、そのあたりはあまり切実ではなかったのか。もしかしたら職を失うかもしれないという恐怖は、この数年で急速に広がったものかもしれない。&lt;br&gt;だとするなら、2009年のパラサイト・パラダイスを作るなら、父親が失業するところから始めるべきかもしれない。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;役者評。&lt;br&gt;普段見慣れている宮崎の役者が見事に鍛え上げられている。&lt;br&gt;体や演技にクセのある人たちが、それが抑えられて無駄の少ない演技になっている。&lt;br&gt;古城が東京から呼んだ元劇団一跡二跳の奥村洋二が、父親役で芝居を引っ張る。&lt;br&gt;それに対して妻役の神水流じん子（劇団２５馬力）がしっかりと渡り合っている。&lt;br&gt;長女のあべゆう（劇団こふく劇場）は、キャリアウーマンらしさを感じない。&lt;br&gt;長男の中武悟（劇団一演）は、まっすぐさが良い。純粋さがほしい。&lt;br&gt;長女の彼氏の谷口ろくぞう（劇団阿坊）の明るさ。&lt;br&gt;父の父を演じる甲斐健治（劇団２２０）の朴訥さ。&lt;br&gt;母の母の原田千賀子の皮肉さ。&lt;br&gt;隣のおじさんの黒田吉郎（のべおか笑銀座）は欽ちゃんばりの熱演。奇妙だが元から浮いたポジションの役だからこれでいい。&lt;br&gt;回想シーンの役の中では長女の同僚・藤山を演じる中島佳江子（劇団ゼロＱ）が異色。キャリアを生きてきた手強さがおもしろい。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;今回の企画の成果は、舞台に現れている部分以上に、その制作過程にあったのではないかと思う。&lt;br&gt;1回だけだが稽古を見に行ったが、非常に密度の高い稽古であった。特に、最初のウォーミングアップは、音楽に乗せて小一時間体を動かし続ける。わずか1ヶ月の稽古で古城流の演出を役者陣が体に取り込むことができたのは、このアップをみっちりと仕込んだからだろう。このアップをはじめ、演出の技術や考え方など、多くのものを残したに違いない。それがなによりの果実であり、それを生かせるかどうかは宮崎の演劇人の努力にかかっている。&lt;br&gt;また、稽古場に使った高岡町の去川小学校の廃校跡も、演劇づくりには素晴らしい環境であった。稽古場さがしに実行委員が頭を悩ましていたのを知っていたが、よくぞ素晴らしい場を見つけたものである。去川地区の人たちの寛容さにも感謝である。便利な場所ではないが、芸術を創造する場として広くて時間を気にせずに使えて集中できる。これもまた、今後につなげていきたいものである。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;終演後のアフタートークで、観客に対して挙手アンケートが取られた。登場人物の誰に共感するか。今回は父親と母親に対する共感が多かったのだが、東京では長男への共感もほぼ同数あるのだという。これはどういうことだろう。おそらくは、宮崎の観客の年齢が高いのだろう。宮崎では演劇が若者に文化として認知されていないということだろう。あたりまえのようなことをあらためて認識した。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>演劇</dc:subject>
<dc:subject>観劇日記</dc:subject>

<dc:creator>sinpeio</dc:creator>
<dc:date>2009-09-27T14:00:27+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/09/2009-555b.html">
<title>みやざき演劇祭2009　「リンコのうた」</title>
<link>http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/09/2009-555b.html</link>
<description>みやざき演劇祭2009　南九州スペシャル公演　 熊本演劇人会議 「リンコのうた」...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;みやざき演劇祭2009　南九州スペシャル公演　&lt;br&gt;熊本演劇人会議&lt;br&gt;「リンコのうた」 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;２００９年９月６日&lt;br&gt;宮崎県立芸術劇場　演劇ホール　舞台上舞台 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;昭和４８年、熊本大洋デパート火災。&lt;br&gt;熊本という土地が記憶する惨禍。&lt;br&gt;劇場の戯曲講座（講師は宮崎の永山智行氏らしい）から生まれた作品。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;感動した。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;火災の背後の一つの家族の物語。&lt;br&gt;自転車屋を廃業し、妻の実家に居候することになった一家４人。&lt;br&gt;高校生の娘リンコは歌の道を志す。父は仕事が定まらず、母は家族を支えて働きに出る。大学生の兄。居候する家は貸本屋で、母の母が長年経営してきた。&lt;br&gt;そんなささやかな家庭の、ちょっとした不和。&lt;br&gt;しかしその背後には、戦争で負った心の傷が３０年の時間を超えて吹き出してくる。&lt;br&gt;主人公の高校生リンコの歌への情熱、家庭の悩み、恋心、などを織り交ぜて展開していく物語は、心をとらえて離さない。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;リンコの父＝正直が火災の被害者となり命を失うのだが、その前夜に進学をめぐって父親とリンコは激しく喧嘩し、リンコは一晩家を出てしまう。そして詫びぬままに父はなくなってしまう。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;哀しいことであり、泣かせるところなのだ。&lt;br&gt;しかし、父が亡くなる理由が、火災である必然性はあまり感じない。交通事故であっても、隕石の墜落でも変わらなく思える。&lt;br&gt;おそらく、熊本の観客ではそうは感じなかっただろう。あの火災を土地の記憶として共有しているから、「あの事件の背景の物語なのだな」と、共感できる。&lt;br&gt;しかし、他所の土地での上演となると、そうはならない。&lt;br&gt;作者の実体験を元に書かれたということで、リアリティは切実にあるのだが。&lt;br&gt;父親がその日その場所（大洋デパート）に行かざるを得なかった理由が、この家族のトラブルによるものであれば、必然性が生まれる。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;しかし、そこまで因果を仕立ててしまうと、後々家族が立ち直れないような傷を負ってしまいそうではある。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;主人公リンコ（森岡光）の初々しさがよい。&lt;br&gt;友人の伊沢真弓（伊澤睦）とともに、自然に女子高生らしい感じがよい。&lt;br&gt;母・和子（井芹誉子）は、献身的で苦労しながら明るく家族を支える母・妻ぶりが様になっている。明るさの影の苦しさがもう少しにじみ出ると良いのだが。&lt;br&gt;父・正直（堀田清）は、不器用な九州男児ぶり。敵役じみる背後に戦争の影があるのだが、不器用さが素にも見える。&lt;br&gt;父から借金をした女・西嶋（宗真樹子）は、詫びる切実さは本物だが、炭鉱町で女手一つで風呂屋を切り盛りしてきたという生活感には乏しい。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;半円形に本棚で囲う、貸本屋のセットがよい。店の奥の家庭の様子が透けて見えるところなど、うまくできている。もう少しぎっしりと本が並んだ感じがほしい。&lt;br&gt;衣装、髪型に、やや現代っぽいところがある。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;熊本の演劇人の力量の高さを感じさせる舞台であった。 &lt;/font&gt; &lt;p&gt;&lt;font face=&quot;メイリオ&quot;&gt;しかし、この宮崎公演、２回公演の２日目を見たのだが、わずか８０の座席が埋まっていない。なんとももったいないことである。 &lt;/font&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>演劇</dc:subject>
<dc:subject>観劇日記</dc:subject>

<dc:creator>sinpeio</dc:creator>
<dc:date>2009-09-13T23:43:33+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/08/post-ac6a.html">
<title>みやざき演劇祭　ディレクター公演　「カエルに願いを」</title>
<link>http://aya-tumugi.cocolog-nifty.com/topics/2009/08/post-ac6a.html</link>
<description>みやざき演劇祭　ディレクター公演 「カエルに願いを」 ８月２８日 宮崎県立芸術劇...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;みやざき演劇祭　ディレクター公演&lt;br /&gt;「カエルに願いを」 &lt;/span&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;８月２８日&lt;br /&gt;宮崎県立芸術劇場　イベントホール &lt;/span&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;公募で選ばれた戯曲を演劇祭のフェスティバルディレクターが演出する企画。&lt;br /&gt;選ばれたのは１６歳の高校生の作品である。 &lt;/span&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;当初三股町立文化会館の戯曲講座(講師＝永山智行氏）で書かれた作品を、演劇祭上演用に改訂を加えたものである。&lt;br /&gt;（先にこの原作を読んだ上で観劇したことを断っておく）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; &lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt; &lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;高校生のカップルと、大人たちの物語。&lt;br /&gt;高校生カップルはさすがによく描けている。&lt;br /&gt;言葉にならない感情のすれ違い。&lt;br /&gt;伝えられない自分の思いや、相手の心を測れない、未熟さ、若さ。&lt;br /&gt;この脚本・芝居の魅力はそこに尽きる。１６歳でしか書けない台詞である。&lt;br /&gt;それを、演出（黒木朋子）、潤色（谷口ろくぞう）ら大人の力で、見せられるものに仕上げてきた。&lt;br /&gt;若い力を掘り起こした演劇祭の良い仕事だと思う。 &lt;/span&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt; &lt;/p&gt; &lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;舞台評。&lt;br /&gt;智樹を演じる澁谷遊歩もまた、実際に高校生。理知的でおとなしい少年が柄にはまり好演。もう少し、彼女がいる（いた）ような魅力的な部分がほしい。&lt;br /&gt;耀を演じる田原遥海もはまり役。一直線な感じがよい。もう少し、野生児的なところがほしい。野生的な小学生女子から、少女へと脱皮していくところを見たいのだが。&lt;br /&gt;この２人はどのようにしてつきあい始めることになったのだろうか。互いの魅力が感じられないのが残念。 &lt;/span&gt;&lt;/p&gt; &lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;一方、大人の造形はまだまだである。&lt;br /&gt;戯曲講座段階の原作よりはずいぶん掘り下げられているが、逆に無理な部分も出てきている。&lt;br /&gt;個性的な４人の大人＝結城、茉莉、ミラ、犬山たちは、学生時代以来の友人で、今でもつき合いが続いているのだが、宇宙へ飛び立とうとして亡くなった「あの人」の空白を埋められないでいる。&lt;br /&gt;特に、「あの人」を止められなかった結城はその責めを負い、世間を離れて橋の下で時が止まったようなくらしをしている。あれから１０年。&lt;br /&gt;ミラの作ったカエルの「願ぎごと人形」は、過去へ帰るという願いを叶えるという。結城は自室にこもってなにやら作っていて、それはタイムマシーンなのか、亡くなったあの人が作ったものと同じロケットなのか。 &lt;/span&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;高校生２人の別れる前の過去へ帰りたいという思いと、大人たちの１０年前に失ったものを取り返したいという思いが、交錯する。この思いを割りゼリフで両者を同時並行させるのだが、趣向はよいものの、残念ながら意味の深い長文の台詞を割られると、観客はついて行けない。これは脚本なのか、演出なのか、脚本潤色の仕業なのか。いずれにしても、割りゼリフならもう少し短くリズムよく、感覚で理解できるようにして行かなければなるまい。残念ながら、ここがよく受け止められなかったので、芝居の結末の大事な部分が十分に理解できなかった。 &lt;/span&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;高校生２人はどうやら仲を修復したようなのだが、その瞬間がわからない。過去へ帰ることを願うのではなく、すれ違いを重ねながら未来へ進むのだという意志を見たかったのだが、それらしいところが見えない。&lt;br /&gt;もっとわからないのは大人組の方で、結城はこの小屋を出て、どうしようというのか。茉莉かミラかを選ぶのか、どちらからも逃げるのか、それともロケットに乗って「あの人」を追うのか・・・。&lt;br /&gt;どちらも結末想像させているのに、それをうまく見せられなかったのが残念。 &lt;/span&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt; &lt;/p&gt; &lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;大人組の評。&lt;br /&gt;ミラを演じる成合がさすがに一日の長。ちょっと漫画的なキャラクターなのだが、十分に作り込んでいる。&lt;br /&gt;茉莉の前田は理知的な女性が仁にあっている。ただ、なんだかんだ言ってこのグループでいっしょに行動している情がほしい。学生時代から十数年来つきあっている友にしてはやや冷たいか。&lt;br /&gt;この２人がそれぞれ結城のことをどう思っているのかが、よくわからない。&lt;br /&gt;大人たちの設定はおそらく３０代前半だろうが、この２人はそれにしてはものがわかりすぎているような感じがある。&lt;br /&gt;一方の結城を演じる鬼束は、原作の感じからすると若すぎるかと思ったが、なかなか好演。年齢不詳なとぼけた感じがあるとよいのだが、それは無理な注文か。抱え込んだ過去の苦さが、自然ににじみ出るとよいのだが。&lt;br /&gt;犬山の中武秀太は後輩らしくはあるが、生活感はない。 &lt;/span&gt;&lt;/p&gt; &lt;p&gt;&amp;nbsp; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;演出は、全体的にスピードはあるのだが、やや御都合主義や予定調和なところがあり、もう少し間合いがあった方がよい。 &lt;/span&gt; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span face=&quot;メイリオ&quot;&gt;美術（満木夢奈）が印象的。草などはややチープな感じがするが、橋桁の鉄骨の空間に張り出す感覚が良い。 &lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


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<dc:creator>sinpeio</dc:creator>
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