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「火の顔」  フェスティバル/トーキョー09春

2009年3月6日 14時
東京芸術劇場 小ホール1

演出:松井周(サンプル)
作: マリウス・フォン・マイエンブルグ

 

思春期の姉(オルガ)弟(クルト)、その父母の4人家族の崩壊を描く。
近親相姦の中となった姉弟の間に、姉の恋人が現れることで、弟は引きこもり、ついに爆弾製造、放火、親殺しへと至る。

しかし、姉の恋人の出現は別にきっかけに過ぎない。それが無くともこの家庭は崩壊したであろうと思わせる。
ではその原因は? つまり両親の親としての、あるいは人間としての「あり方」のせいだというのだろうか。
たしかに自分勝手な親と思わせるように描かれているが、しかし、別に異常でもなんでもない。大人らしい無感覚さはごく「普通」だ。
また、この家族のゆがみを客観的に測るのが外から来る恋人なのだが、しかしその尺度が「普通」なのかもよくわからない。
「普通」なのに、そこから「異常」が生まれてくるのはなぜだろう。ほんのわずか、何かがずれてしまったのだろう。

子どもたちの、純粋さを保ちたいと願うあまり引きこもってしまう鋭敏な感覚は、 わからなくもない。

しかし、すでに私はちょっと歳を取りすぎたようだ。
あのような無神経な親にはなりたくはない。しかし、すでに自分も思春期前の子供の親であり、もしかしたらすでに手遅れなのかもしれない。
親7:子3ぐらいの思い入れで見てしまった。

 

演出の松井周は青年団の出身。
姉弟役の現代風のゆるめのしゃべり方は青年団譲りかもしれない。しかし、きちんと意識的にコントロールされている。
テキスト自体が「現代口語演劇」ではなく、独白や観客を挑発するような台詞もある。

セットは、下手から上手への緩い傾斜が、二本。その間に長いテーブル。 周囲はむき出しの劇場の壁。セットの奥に空いた空間も効果的に使われる。
この抽象的な空間をうまく使い、家庭の居間、親の寝室、子どもたちの部屋を表現する。
そこを行き来することで、空間的にも時間的にも移ろっていく様子が無駄な隙なく流れていく。時間にすれば、 子どもたちの思春期の5年間ぐらいなのだろうか。
傾斜やテーブルの上を、肉体を引きずる動きが印象的。しかし後は特別な様式的な動きがあるわけはないし、 特殊な朗誦術で語られるわけではない。
抽象的な空間であり、リアリズムではまったくないが、演出はストレートで緊密に作り上げられている。

役者陣は、親子役だから歳が離れたでこぼこユニットで、両親の平凡さ、 子どもたちの未熟な感じが、それぞれにはまり役。
姉を演じた野津あおいの華奢だがコントロールできている身体がいい。
弟の菅原直樹の体当たり感。

弟(クルト)の台詞
「しがらみを断ち切って、一人になれ。他人に吹き込まれた考えは捨てて、隙間を閉ざせ。」

姉弟はともに放火をし、両親を殺害しておきながら、なんでもない日常が失われたことに気づき、 やってきた恋人に救いを求める。
取り残された弟は、一層閉じこもっていく。大きなビニール袋に自ら入り、密閉し、転がって行く。
印象的な最期である。

 

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