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2008年11月

来年、宮崎で大落語祭だって

来年(2009年)10月11日・12日に、宮崎で『宮崎大落語祭 09』 が開催されるそうです。
今年まで東京銀座で開催されてきた、大銀座落語祭が今回で終了。その次が宮崎だというのです。

主催は、落語界の超売れっ子の6人、春風亭小朝、笑福亭鶴瓶、林家正蔵、春風亭昇太、 立川志の輔、柳家花緑による“6人の会”。
この6人がそろって宮崎に来るんだとしたら、大変なことですね。(三枝も出るらしい)
今回のフィナーレでは東国原知事がビデオメッセージを寄せたということで、まあ、間違いなく開催されるんでしょう。
ただ、6人の会とは言っても、事実上小朝が一人で突っ走って取り仕切っているようで、鶴瓶などは、 そのフィナーレの場で初めてその計画を知ったような風だったようです。どうなることかちょっと心配でもあります。


さて、今年まで開催された大銀座落語会は、銀座のあちこちの会場で開催され、 400人の演者が出演し5日間で5万5000人動員という大規模なもの。
銀座中が落語一色になるといった感じでしょうか。

さて、それが宮崎でやるとなるとどうなるのでしょう。
最もわかりやすく普通な方法は、県劇なりの会場を2日間貸し切って2晩公演をやる、ということでしょう。
しかし、それでは安易でしょう。
やはり、町中をジャックして、山形屋とか、県庁とか、宮交シティ、新しくオープンするアートセンターなど、劇場だけでなく、 あちこちでやってもらいたいですね。
同時にあちこちでやって満席にできるほどの地盤はないだろうから、平行してはやらない。そのかわり、1会場が終わるごとに、 ぞろぞろと客が移動して街を歩くってのは、面白いんじゃないでしょうか。


また、小朝の構想は全国各地を転戦することなのかもしれませんが、できれば毎年、 あるいは数年おきにでも継続してもらいたいですね。


だけど、もしかしたら、演劇祭とスケジュールがもろにかぶるんじゃないのか・・・?


 

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久米島でいろいろ考えた

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10月に、沖縄の久米島に行ってきた。
久米島紬の視察の仕事だったから、演劇とはぜんぜん関係ないのだが、いろいろと考えてしまった。


久米島紬は、分業をしない。
私の働いている綾の手紬は、糸作りから機織りまで一貫して生産する珍しい工房だが、工房内では染色、機織り、下拵えなど、分業している。

しかし、久米島紬はすべての行程を一人の人がやる。一人だけでできないところは、 お互いに手伝って支え合う。「ゆいまーる」というらしい。

ほとんどが女性で、主婦である。機織りの稼ぎが家計を支える。
一人一人が社長であり、誰かに使われているわけではない。
気候に合わせて一年かけて染めから織りまで仕上げていく。農業のようなサイクルである。
なんと心豊かなことか。
逆に、われわれ宮崎の仕事が、なんとせせこましく息苦しいことか。

実際は、外から見るほど楽園ではないのだろう。収入も決して多くはないだろうし、 人間関係も単純でないところもあるだろう。

しかし、「豊かに生きる」とはどういうことなのだろうと、考えてしまう。
出世して家を持ってなどと言うことを幸せと考えるほど単純ではないにしても、それでは、表現者として追われるようにもの作りをしたり、 あるいは寝る間も惜しんで社会貢献してます、というのが、本当に豊かな生活と言えるのだろうか。


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この久米島のおばちゃんたちは、おそらく演劇を見たことなどほとんどないだろう。 あったとしても、大衆演劇的なもので、現代演劇など絶無だろう。
しかし、だからといって、文化的な生活でないと言えるだろうか。不幸な人生だと言えるだろうか。

そう思うと、演劇とは心の歪んだ者たちの、慰みの産物なのかと思ってしまう。


現代演劇は、個人単位で生きる時代の産物なのだ。

 

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しかし、青い海の見えるホテルで脚本の草案を練るのは、なんとも心地よかった。
それはまあ、別のレベルの話。
 

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道徳の授業に演劇の手法を

先週、小学3年生の息子の参観日だった。
課目は道徳。

授業の内容は、

クラスで長縄飛びで新記録をねらっていたところ、あきら君が引っかかって止まってしまう。みんなは、 「あーもう少しで新記録だったのに」。あきら君は「もう長縄なんかしたくないや」と思う。
その時、みんなはあきら君にどんな風に声をかけますか。

という課題。

まずあきら君の気持ちを考える。次にそれぞれにどんな風に声をかけるか考えて紙に書き込んで、 次に手を挙げて発表。最後にちょっとあきら君役と声をかける役に別れてロールプレーイング。

しかし、3年生ともなると、みんな優等生だ。
「次はがんばろうね」
とか、
「誰にでも失敗はあるさ」
など、かっこのいい答えばかりである。

しかし、それで良いんだろうか。
「誰だよひっかかったやつはー!」
「へたくそ!」
とか、思わないはずが無いだろう。

それを言ってしまうとどうなるのか、それを検証しないで、優等生の発言だけを紙に書かせても、 その場だけになってしまうのではないか。

紙に向かわせるのは最後の最後で良いだろう。
まず全員で立って、動いて、ロールプレーイングして、良いことも悪いことも言わせてみることで、その人の心がわかる。
道徳の授業にこそ、演劇ワークショップの技法が必要なのではないか。


※ついでに言うと、「道徳」という課目名が私は嫌いだ。 なにかもっと押しつけ的でなく、自発的に人と社会との関係を考え感じるような名前はないものだろうか。「人権」 として処分された話などを聞いたことがあるが。

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元祖演劇乃素いき座 「虫たちの日」別役実

元祖演劇乃素いき座 「虫たちの日」別役実


10月26日 アトリエ春風舎

時間があったので、どこかで芝居を観ようと思ってネットで検索したところ、 春風舎の公演を観てみようと思っていってみた。

別役実中期の二人芝居。
老夫婦が食事をする、それだけの1時間。
なんだかぐるーぷ連の芝居を思い出す。
とにかくリアルに食卓の準備から、ご飯粒をこぼしたの、味付けを失敗したの、醤油をこぼしたの、と、会話が続く。
くちゃくちゃと咀嚼する音が響く。
最後に、同年配で出世した人がどうやら死んだらしいことを新聞で知り、二人生きていて幸せだったなと確認する。
それだけ。
途中、もしかしてこれは食べるだけの芝居かと予感した時、「あーぁ」と思った。久しぶりに東京に来て、 わずかにできた貴重な時間で選んだ作品がこれでは情けないなと思った。今の最先端のはやりの芝居を観てみようと思っていたのに、 こんな地味な作品を選んでしまうとは。
しかし、終わりまで観た時、実に印象深く二人の世界が心に残った。


初演は1979年。およそ30年前である。
イデオロギーを主張する新劇でもなく、エネルギーを放散するアングラでもなく、 日常の中に劇的なものがあると言うことをいち早く発見した作品なのだろう。
しかし、今となっては、逆にこういう芝居が全盛であって、あまり新鮮みはない。

「別役=不条理劇」と簡単に言われるけれど、そもそも不条理劇ってなんなのか。
たまたま読んでいた某ブログからの孫引きになるが、WikiPediaによると、
「不条理演劇では、登場人物の行動とその結果、時にはその存在そのものが、因果律から切り離されるか、曖昧なものとして扱われる。 登場人物を取り巻く状況は最初から行き詰まっており、閉塞感が漂っている。彼らはそれに対しなんらかの変化を望むが、 その合理的解決方法はなく、とりとめもない会話や不毛で無意味な行動の中に登場人物は埋もれていく。 ストーリーは大抵ドラマを伴わずに進行し、非論理的な展開をみせる。そして世界に変化を起こそうという試みは徒労に終わり、 状況の閉塞感はより色濃くなっていく。」
となっている。

閉塞感。

1979年、40代前半の別役が書いたこの戯曲も不条理と解されたのだろうか。
老いることを閉塞感と感じ、不条理とするなら、若さとはずいぶん身勝手なものだと思う。
別に私はこの芝居が今日的な意味がないと言っているわけではない。
しかし、淡々と老いを描くということは、不条理でもなんでもない。どうしようもない人生を肯定するしかない、そういう芝居として、 今さらに現代劇としての価値があると思う。
不条理と思われていたものが、30年経って不条理でなくなったと言うことか。


ただ私の見る眼がないだけなのかもしれないが。


ひと言加えると、二人の一時間の会話劇で、3000円はちと高い。 長さやセットの物量で価格が決まるものではないだろうが、観る側の感覚としては高く感じる。
ところで、この日の観客は20名ほど。それも、関係者とか演劇人とかがほとんどのようであった。わずか50ほどの客席ではあったが、 すき間だらけ。人口も演劇人も観劇人口も多い東京でもこんなものなのかと思う。
どこで誰に見せるか。考え物ではないか。

 

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「重の井子別れ」 「解脱衣楓累」 現代に生きる歌舞伎とは

歌舞伎座「重の井子別れ」 前進座「解脱衣楓累」


10月25日

歌舞伎座 芸術祭十月大歌舞伎
昼の部「恋女房染分手綱」一幕

福助の重の井。
久しぶりに福助の舞台を見るが、なかなか堂々としてきたなと思う。
しかし、この芝居自体、愚劇の部類だと思う。
子別れのお涙頂戴物である。
それならもっと義太夫芝居らしく、大車輪で見せて欲しいものである。
あまりお上品にやっても、つまらない。
三吉の小吉は、母親の裲襠の裾を引くところなどが、本気で引いている感じがよい。突き放されるところも本当に突かれている感じである。 決められた型だけをやっている感じではないところが良い。

 

浅草公会堂 前進座「解脱衣楓累」


引き続き歌舞伎座を見ようかとも思ったのだが、ここで出て浅草公会堂の前進座へ。
鶴屋南北作「解脱衣楓累」
これは十数年前に国立劇場で上演されたものを見た記憶がある。

南北の未上演作品を前進座が初演したもので、脚本改訂を小池章太郎氏が行っている。 氏は私のいわば師匠であり、私は何もこの脚本に関与したわけでもないのだが、この芝居には何となく思い入れがある。
古い歌舞伎好みとしては、見取りばかりの歌舞伎座よりは、幻のような古い狂言の復活に当然惹かれる。
前の公演は、生首が動いたところなどが強烈に印象に残っている。

久しぶりに前進座の歌舞伎を見るが、まずテンポの良さに驚く。
幕開きの仕出しの軽い台詞が通り一遍に流れずにテンポがある。かつ、ひと言ひと言が明瞭である。 ともすると歌舞伎の役ではなく時代劇じみるのだが、このあたりは演出がしっかりしていることと、 見巧者だけでなく地方の観劇歴の浅い観客をも常に相手にしている劇団の行き届いたところである。幕間も工場を入れたり、 差し金の蝶を飛ばすなど、退屈させない仕掛けがある。
台詞回しが黙阿弥調のなんでも七五に揃えるのでなく、南北のやや字余りの台詞を意味通りに言う。逆に新鮮でよい。


圭史の空月は、まず序幕の悪への変心がきっぱりしない。テンポは良いが、 こういうところはたっぷりとやって欲しい。
國太郎初役のお吉・累だが、二役とももう少し立ち上る色気が欲しい。
瀬川菊之丞の金五郎が、和事の浪人の風情が当世得がたい。

脚本にちょっとわかりにくいところがあって、お吉空月の赤子がなぜ江戸の茶屋に運ばれたのか、 お吉は出家とはいえ一度無体に言い寄った空月になぜ警戒しないのか。長大な原作を刈り込んだ苦労はさぞかしと思うが、 ちょっとしたところで躓いてしまう。

最後の本水は秋の芝居であまり必要性を感じない。もっと豪快に降らせる芝居が珍しくない今日、少々の本水ならわびしいだけである。 それよりは、序幕のお堂にきちんと庇を付けるとか、生活感が出るような部分に金をかけてはどうだろうか。


全体としては堪能した。同じような狂言ばかりかかる松竹歌舞伎に対し、 筋を通す前進座の挑戦は貴重である。歌舞伎以外の芝居で培っている演劇観は松竹にないものであり、貴重である。 一方で役者の体に歌舞伎が染みついていない感じもする。特に圭史の下の世代がそうである。 もっと歌舞伎を演じる機会を増やした方がよいのではないか。
江戸の空気と現代的解釈演出を両立させるのはなかなか容易なことではないだろうが、劇団だからこそできる歌舞伎の可能性を感じた。

重の井を見たあとだから余計にそう感じたのかもしれない。

 

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やるまい会 釣狐ほか

第24回 狂言 「やるまい会」

痺 八島 釣狐 千切木

10月26日(日) セルリアンタワー能楽堂

和泉流狂言・野村又三郎一門の会


中学以来の友人、野口隆行君が大曲「釣狐」を披くというので、宮崎から駆けつけた。

思えば、彼が狂言を始める時、たしか高校1年の時だったが、 一緒にやらないかと誘われたにもかかわらず、歌舞伎が好きだった僕はそれに乗らなかったのだった。それから20年である。
その間たしか一度も彼の舞台を見ていない。東京にいた時分は能狂言を時々は見たものの、最近はまったく見ていない。昨年は彼の師匠・ 野村又三郎師が亡くなったが、とうとう師の舞台も一度も見なかった。
20年は長い。
芸の時間ではやっと入り口にたどり着くだけの時間なのだろうが、例えば今から僕があらためて狂言に取り組むとして、 20年経てばもう55歳になってしまう。
取り返しようのない貴重な時間を、彼は狂言に捧げ、積み重ねてきたのだ。


釣狐の前に、野村小三郎、信朗親子の「痺」。信朗君は小学2年。
確かこの曲は狂言を習い始めてほぼ最初に稽古するもので、野口君も高校生のころにこの台詞をつぶやいていたのを聞いた気がする。 なるほど芸とはこうして伝承されていくものか。ここから約20年かけて釣狐にたどり着くわけである。

居囃子「八島」のあと休憩をはさんでいよいよ釣狐。

相手役の猟師の松田高義はおそらく一門の大ベテランであろうし、 後見には人間国宝の野村万作師がつくという、豪華版。
腰をかがめた姿勢でゆっくりゆっくりと歩を進める、かと思うと飛んだり首を振ったり。非常に体に応える動きだ。
正直なところ、この舞台のできた良かったのか悪かったのかは僕にはわからない。苦しそうな呼吸が聞こえてくる様子から、 かなりいっぱいいっぱいなのだろう。
それはそうだろう。芸歴20年といっても、この世界ではやっと一人前と呼べる入り口に立ったところなのだろうから。 まだまだ十分でなくて当然ではないか。これから節目ごとに舞台を重ねていって、より深みのあるものになっていけばいいと思う。
積み重ね積み重ね、体を通して次の世代に伝えていく。身をもって伝承の流れの一部になる。なかなかできることではない。
そう、次は彼の普通の狂言らしい軽いものを見なければならないなと思った。


最後に野村万作、小三郎で「千切木」。
これはまったくの喜劇。狂言らしい。
万作師の小柄な体から、エネルギーがあふれ出てくる。
様式の形を堂々と作ってみせる。それがなんと力強い表現になることか。
照れとか、迷いとか、独創とか、そんなものは必要ない。
ストレートな表現が、見るものをもストレートに幸せにしてくれる。


信朗君、野口君、万作師。
芸の受け継がれていく姿を見た。

さて、自分はこの20年、何をしてきたのかと、嘆息。

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劇団東演 「空ゆく風のこいのぼり」

劇団東演 「空ゆく風のこいのぼり」

10月25日 紀伊國屋ホール

宮崎在住の劇作家、藤井貴里彦の書き下ろし戯曲が、日本の演劇の中心地、 紀伊國屋ホールの舞台にかかるという。
劇団東演の藤井作品は4年前の「浄瑠璃の庭」に続いて2作目。この時は、東演パラータという、劇団の小劇場での公演だった。


舞台は、現代の宮崎県野辺町。モデルは藤井の住む野尻町であろう。
旅の途中に取り残された岡野ひとえ(古田美奈子)が、上空を泳ぐ季節はずれのこいのぼりを見上げるところから始まる。

まず大道具が実にそれらしい。古びた建家の曇ったガラス。上手の鍛冶の小屋を覆う錆びた波板。 宮崎人をして納得させるリアルさである。


前半はストーリー的には展開がスロー。ひとえが都会へ戻ることを拒否し、田舎に落ち着くまで。 対話が面白い部分である。
後半、漬け物石が盗まれてからストーリーが転がり出す。はるか昔に子ども行方が知れなくなった子どもをめぐって、 未だに傷を負う家族や友人の物語が、飛ばされていったこいのぼりをめぐって展開していく。特に、敵役かと見えた進化継道の心の傷が印象深い。
「母ちゃん」と加代にすがりつく継道を見て、感涙した。泣かせる芝居である。


基本的に方言(宮崎弁・諸県弁?)で演じられるが、まあ、方言の巧拙はこの際問うても仕方ないこと。 おそらく東京の人にはそれらしく聞こえたことだろう。「てげてげでよか」と言ったあとに「そこそこでよか」(だったか) とそれとなく説明が付くから、意味もわかるだろう。
ところが、最も感動させる加代の台詞が、「のさんかったねえ」で、説明は一切無い。これは東京人には通じなかったかもしれないが、 これこそ翻訳不可能な言葉で、ある意味ネイティブ宮崎人作者の真骨頂であり、痛快な部分である。


主人公岡野ひとえは、都会の生活に追い詰められて、田舎で迷ったのことを機に、 結局都会へ戻ることを拒否したのだが、いったい都会のなにに追い詰められ、田舎の何に救われたのか。 ひとえを迎えに来る母親と同僚らを登場させることで、仕事や人間関係や育ちなどに追い詰められたであろうとは理解できるのだが、 もう少し克明に彼女自身が変わるところを見たい。上に「主人公」と書いたものの、この描き方だと主人公としては物足りなさを感じてしまう。 むしろ、周りの孝吉夫妻や深海兄弟の方がしっかりと魅力的に描かれている。


磯村純の演出が細部まで行き届いている。ともすると寂しくなりそうな藤井戯曲のすき間を、 しっかりと埋めて、明るいものにしている。


鍛冶屋の老夫婦(笹山栄一・溝口順子)が味わいがあっていい。 ささいな夫婦げんかがいかにもそれらしい。溝口は宮崎弁もなかなか達者である。
南方の島国からやって来た国際交流員、チーサオ(小池友理香)がよいアクセントになっている。 とかく閉鎖的になってしまいそうな田舎の空間に、別の視点を持ち込む。奇妙に明るく、 しかし海に沈もうとしている故郷を救いたいと切実に願う純真さが、周りの人々の心を解きほぐす。彼女が奇跡をもたらす源泉である。 小池のエネルギー溢れる演技がよい。

ひろとしと栄一郎の見た目がちょっと紛らわしい。見た目をもう少し差がつくようにして欲しい。
栄一郎はもう少しでくのぼうな感じが欲しい。
つなぎの作業着とか、 そういう雰囲気ではないだろうか。兄を心配させるような男には見えない。
ひろとし(原野寛之)の笑顔とVサインが印象に残る。これは役者の力と演出の力。


それにしてもこの芝居は客観的に見られない。
東京の芝居好きがどう見るのか。あるいは東演の顧客がどう見るのか。東京の演劇シーンの中でどういう位置づけになるのか。

少なくとも実験的な部分はまったくない。一方、 東演の顧客=おそらくガチガチの新劇ばかり見ている人たちからすれば、メッセージ性が薄くて物足りないと感じるかもしれない。

現在の東京の演劇の流行がどのようなものなのかはわからないが、 戯曲を読む限りではどうも閉塞感漂う作品が多いような気がする。対話劇と言っても、都会の若者のそれが中心であろう。 どうしてもすさんでいたり、猛スピードだったり、あるいはひたすら笑いだったり。とかく芝居は見る側に体力を要求する。
そういう中で、心をときほぐす演劇があってもいいのではないか。
東京の人たちがこの芝居を必要とするなら、じんわりホッとする時間を持てるところにあるだろう。
宣伝文句の通り、「癒しの演劇」とするのが妥当なところだろう。

(もっとも、私は「癒し」という言葉は嫌いなのだが。傷は「癒す」のではなく、「癒える」 ものだろう。)

 

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